コラム
2015.08.17

「安保法体系」と「憲法体系」の二元化

法曹であれば通常、憲法が国の最高法規であり、この最高法規に反することなく、日本政府は、他国との条約関係も締結してゆくのだろうと考えるものです。

しかし、現状はそうはなっていないようですね。日米安保条約とその付属である日米地位協定・特別法が、日本の国家主権の及ばない治外法権を含む「安保法体系」を生み出し、憲法・法律・命令と続いていく「憲法体系」と二元化して存在しているのです。
そして、日本政府は米国に追従して「安保法体系」を優先しますから、我が国は「安保法体系」が「憲法体系」より優位に立っている国と言うことが出来ます。
では、司法権の長たる最高裁判所は、どのように言っているのでしょうか?
「日米安保条約は我が国の存立の基礎にきわめて重大な関係を持つ高度な政治性を有するものだ。だから、その内容が違憲か合憲かの法的判断は、その条約を締結した内閣と、それを承認した国会の高度の政治性、自由裁量的判断と表裏一体をなしている。
それゆえ、違憲か合憲かの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない。
だから、一見きわめて明白に違憲無効であると認められないかぎりは、裁判所の司法審査権の範囲外のものである。」(統治行為論)
もしや、この統治行為論が上記法体系の二元化に深く関係しているのかも知れませんね。
この統治行為論に基づき、日本に駐留する米軍も、自衛隊も、ともに違憲か合憲かの判断になじまないものとされています。
とにかく、現在の駐留米軍は、日米地位協定等によって、治外法権状態にあります。自衛隊も「安保法体系」に組み込まれて活動する、司法審査権の範囲外のものと化しています。
上記のような「統治行為論」に基づく限り、「安保法体系」に基づく集団的自衛権の行使の問題についても、我が国の裁判所は、この論を持ち出して、司法審査権の範囲外のものと言うのでしょう。
でももうそうなれば、集団的自衛権が、憲法9条に反しているかどうかを論じることは、「安保法体系」にあるものをそれより下位に位置づけられている「憲法体系」により論じようとするのですから、一種のむなしさを感じますね。
しかし、それでも、論理的に考えると、やはり憲法が国の最高法規であるのだから、条約の下位に位置づけられることがおかしいのです。そもそも最高法規たる現行憲法に自衛隊のことが書いていないことがおかしいということになる。集団的自衛権の話などは、憲法に全然出てこないのだから、やはり、我が国の持つ自衛権についての憲法規定が必要だということになる。つまり、日本政府が、まずやらなければならないことは、現行憲法の改正であろうと思われます。
集団的自衛権の話などは、現在の憲法解釈の限度を超えていますので、やはり、先に憲法を改正しなければ出来るものではないと思われます。
日本政府は、その上で、「憲法体系」に反することなく、「安保法体系」を改正していくべきなのだろうと思われます。
つまり、最高裁がいくら統治行為論に逃げ込んで、判断を下さないとしても、論理的には、「憲法体系」が上にあって、「安保法体系」を改正していくのが主権国家としての筋道なのだろうと思います。
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