コラム
2018.07.19

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2015.08.17

「安保法体系」と「憲法体系」の二元化

法曹であれば通常、憲法が国の最高法規であり、この最高法規に反することなく、日本政府は、他国との条約関係も締結してゆくのだろうと考えるものです。

しかし、現状はそうはなっていないようですね。日米安保条約とその付属である日米地位協定・特別法が、日本の国家主権の及ばない治外法権を含む「安保法体系」を生み出し、憲法・法律・命令と続いていく「憲法体系」と二元化して存在しているのです。
そして、日本政府は米国に追従して「安保法体系」を優先しますから、我が国は「安保法体系」が「憲法体系」より優位に立っている国と言うことが出来ます。
では、司法権の長たる最高裁判所は、どのように言っているのでしょうか?
「日米安保条約は我が国の存立の基礎にきわめて重大な関係を持つ高度な政治性を有するものだ。だから、その内容が違憲か合憲かの法的判断は、その条約を締結した内閣と、それを承認した国会の高度の政治性、自由裁量的判断と表裏一体をなしている。
それゆえ、違憲か合憲かの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない。
だから、一見きわめて明白に違憲無効であると認められないかぎりは、裁判所の司法審査権の範囲外のものである。」(統治行為論)
もしや、この統治行為論が上記法体系の二元化に深く関係しているのかも知れませんね。
この統治行為論に基づき、日本に駐留する米軍も、自衛隊も、ともに違憲か合憲かの判断になじまないものとされています。
とにかく、現在の駐留米軍は、日米地位協定等によって、治外法権状態にあります。自衛隊も「安保法体系」に組み込まれて活動する、司法審査権の範囲外のものと化しています。
上記のような「統治行為論」に基づく限り、「安保法体系」に基づく集団的自衛権の行使の問題についても、我が国の裁判所は、この論を持ち出して、司法審査権の範囲外のものと言うのでしょう。
でももうそうなれば、集団的自衛権が、憲法9条に反しているかどうかを論じることは、「安保法体系」にあるものをそれより下位に位置づけられている「憲法体系」により論じようとするのですから、一種のむなしさを感じますね。
しかし、それでも、論理的に考えると、やはり憲法が国の最高法規であるのだから、条約の下位に位置づけられることがおかしいのです。そもそも最高法規たる現行憲法に自衛隊のことが書いていないことがおかしいということになる。集団的自衛権の話などは、憲法に全然出てこないのだから、やはり、我が国の持つ自衛権についての憲法規定が必要だということになる。つまり、日本政府が、まずやらなければならないことは、現行憲法の改正であろうと思われます。
集団的自衛権の話などは、現在の憲法解釈の限度を超えていますので、やはり、先に憲法を改正しなければ出来るものではないと思われます。
日本政府は、その上で、「憲法体系」に反することなく、「安保法体系」を改正していくべきなのだろうと思われます。
つまり、最高裁がいくら統治行為論に逃げ込んで、判断を下さないとしても、論理的には、「憲法体系」が上にあって、「安保法体系」を改正していくのが主権国家としての筋道なのだろうと思います。
2015.07.11

価値観相対性理論?

弁護士業をやっていると、同じ法律というものさしを用いて法律紛争の解決に携わっているのに、各弁護士の価値観・評価や裁判官の価値観・評価は、各人それぞれであり、絶対正しいという価値観や評価がないことがよく分かります。

地方裁判所の民事訴訟を例にとると、各弁護士は、原告か被告の代理人になっているので、自分の依頼者の主張する事実関係やそれに基づく法律的主張を行うのは当然です。

それにしても、こちらが論理的に正しいと思っている事実関係やその評価について、相手方弁護士より、お前が言っていることは支離滅裂であって意味が不明であり、我が主張する事実関係やその評価こそが正しいのであると来ると、まあさすがに「何を言いやがる!法的感覚がおかしいんと違うか!?」と苛立ったりします。
でもそれは、訴訟までやってこじれている原告被告ですから、双方の主張する事実関係やその評価が異なるのは、当たり前と言えば当たり前なんですね。

そこで、裁判官が登場して、公平な事実認定と公平な評価をしてくれることを期待するわけですが、難儀なことに、裁判官は裁判官で、それぞれ個性を持っており、独自の価値観を持っており、独自の評価を行うわけです。もちろん、法律の許容範囲内で独自の価値観や評価を発揮するわけですが、これが原告に近いものであったり、被告に近いものであったり、あるいは原告とも被告とも異なる価値観や評価であったりするわけです。

最終的に、裁判官は判決書に、自らの認定した事実関係とその評価を記載して、判決を下すわけですが、これは我が依頼者の勝訴であったり敗訴であったりします。

裁判官の判決書を読んでも、どうも事実認定がおかしいのではないか、あるいはその法的評価がおかしいのではないか?と思われる敗訴判決書はそりゃあ出てきます。そして、高等裁判所に控訴しても、敗訴判決が覆らない場合もそりゃあ出てきます。弁護士と依頼者の価値観・評価の敗北ですね。

以上、長々と述べてきましたが、法律のものさしをもってしても、弁護士や裁判官の価値観や評価は、各人各様なのです。但し、誰かがジャッジしなければならないので、裁判官が最終的に判決書をもって判断することになりますが、その価値観・評価とて、弁護士や依頼者からすれば、どうもおかしいのではないかというものも甘受しなければならない場合もあるわけです。

これが裁判所の外の一般社会の話になってきますと、皆さんそれぞれの価値観・人生観で生活されているわけで、どの価値観・人生観が正しいなどと断定することはとうてい出来ないわけです。

そんなことは言われなくても分かってるよと言われそうですが、僕が見渡す限り、やはり価値観・人生観の相対性について、分かっている方は、いかほどなのかと疑問に思います。

結論を急ぎますと、私の価値観・人生観は必ず正しく、必ずしも正しくない。あなたの価値観・人生観も必ず正しく、必ずしも正しくない。自分の価値観や人生観を信じることはいいことだと思いますが、他人の価値観や人生観も同様に尊重しなければ矛盾でしょう。だってすべての価値観は相対的なのですから。そしてこの文章ですらそうなのだと思います。

2014.06.21

群衆心理

『フランスの社会心理学者ル・ボンは「群衆心理」という著書で、次のように述べている。
「群衆の最も大きな特色は次の点にある。それを構成する個々の人間の種類を問わず、また、彼らの生活様式や職業や性格や知能の異同を問わず、その個人個人が集まって群衆になったというだけで集団精神を持つようになり、そのおかげで、個人でいるのとはまったく別の感じ方や考え方や行動をする」

そして群衆の特色を、彼は鋭く定義しているー衝動的で、動揺しやすく、昂奮しやすく、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、と。そして群衆の感性は誇張的で、単純であり、偏狭さと横暴さと保守的傾向を持っている、と。

昭和15年から昭和16年12月の開戦(太平洋戦争)への道程における日本人の、新しい戦争を期待する国民感情の流れとは、ル・ボンのいうそのままの姿と言っていいような気がする。

それもときの政府や軍部が冷静な計算で操作していったというようなものではない。日本にはヒトラーのような独裁者もいなかったし、強力で狡猾なファシストもいなかった。民衆と不可分の形でリーダーも群衆のひとりであり、民衆のうちにある感情を受容し反映する場合にのみ、リーダーは民衆を左右できたのである。』

以上は、半藤一利氏著「歴史探偵昭和史をゆく」(PHP文庫)からの抜粋です。

 

あれから約70年の年月を国民は過ごしてきました。戦後は、少なくとも日本は平和な状態を維持してきました。
しかし、その平和は国民自身が不断の努力をもって維持してきたものでしょうか?大東亜戦争の敗戦について、その原因分析や議論を充分に行って、国民自身が成長したから平和が維持されているのでしょうか?

もっと言えば、現在の日本国民が、大東亜戦争勃発の頃と同じような状況に置かれることになったときに、あの頃と違って冷静で合理的な世論を形成し、政府を平和裡に突き動かすことができるのでしょうか?私見ではありますが、甚だ疑問に思う今日この頃です。

やはり悲惨な時代、負け戦の時代には目を向けたくないという日本人は少なくないのではないでしょうか?

そして、日本の「侵略戦争」がいけなかった。ここは「反省」「謝罪」しなければならない、ということで片づけてしまい、結局その頃に何が起こっていたのかについて、詳しく知ることを避けている日本人は少なくないのではないでしょうか?

いや、また脈絡もないよもやま話を書いてしまいました。いや半藤一利氏の著書のことじゃありませんよ。私の記述部分のことですよ。半藤氏の著書はどれもすばらしいです。

2014.06.15

望ましい弁護士の選び方

最近、何人もの弁護士に法律相談したが、どの弁護士も違うことを言うので、どの弁護士が言っていることが正しいのか分からなくなったと言って、私にも同じ相談をしてこられる相談者の方が増えてきました。どの弁護士の言っていることが正しいのかと言えば、結論から言うとどの弁護士の言っていることも間違いではない。つまり、やはりどれも正解なのだと思われます。

ただ、到達する結論は、たぶんひとつしかないはずですが、そこへ至る方法論が、各弁護士によって異なるのだと思います。

例えば、難しい法律問題をはらんでいる事案や事実認定や評価がどちらに転んでもおかしくない事案や自分の依頼者の主張の立証が出来るのかどうか微妙な場合に、それを楽天的に考える弁護士もおれば、厳しめに考える弁護士もいます。そういう場合に、一旦内容証明郵便送付によって、相手方の反応を見ようとする弁護士もおれば、いきなり訴訟に打って出れば手っ取り早いと考える弁護士もいるでしょう。あるいは、調停で話し合いをすればよいのではないかと考える弁護士もいるでしょう。これらの方法はいずれも間違ってはおりません。

結局、どういうタイプの弁護士に自分の事件を依頼するかは、弁護士の出してくるアドバイスが、自分の感覚にどれだけ合致しているのかによるのだと思います。

仮に弁護士が、訴訟をやるのが妥当だとアドバイスをして、それが、あなたの感覚にしっくりと来るのであれば、あなたは、その弁護士に自分の事件を依頼をすべきなのだと思います。弁護士費用が安いからと言って、あるいは敏腕弁護士との噂があるからと言って、自分の感覚にしっくり来ない法的手段をとろうとする弁護士に依頼するのは、結局、あなたが最終的に納得のいかない結果になる危険性が高くなると思います。

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